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理解に苦しむ一人負けとバブル

昨日3月6日は京都府公立高校の一般選抜の検査日。簡単に言えば入試当日。家に帰ってから京都新聞のホームページで問題を見てみる。私の科目は英語だが昨年よりは易しい感じがした。数学もそんな感じ。昨年が少し難しかったので、ちょっとゆるめたかな。競争倍率も隔年で上がり下がりするが、問題の難易も隔年で上がり下がり。職人さんが集まっているのだから、均一な問題づくりをお願いしたい。

国語の古文は中学2年の時に授業でやったのと同じところが出ていたらしい。覚えていればかなり有利になったはず。覚えていればだが。

山城通学圏の志願者状況はこんなの見たことがないという状況。

昨年に比べ今年は中学卒業者数が多いにもかかわらず、募集定員を増やさなかった。昨年の定員割れ=低学力者層の入学が相当応えたのだろう。私学に対していわば不戦敗宣言をしたに等しいが、まあともかく第1順位の志願者数は募集定員より184名超えていたので目的は達せられた。

しかし、各校別に見ると木津高校の一人負け状態。全体で184名オーバーしているにもかかわらず、70名近くの定員割れを起こしている。もっとも、全国的にも珍しい山城通学圏独自の公立回し合格制度によって、最終的に定員は充足されるだろうが、これほど極端な偏りは理解に苦しむ。昨年の定員割れの後遺症だろうか。いやそれなら隔年現象で受験者が増えることだってあるはず。校長先生は熱心な紳士なんだがなぁ…。

いっぽう城陽高校はなぜかバブル状態で定員を60名上回っている。ここだけの話し、木津と城陽、それほど違いがあるように思えない。女子生徒のスカートの短さだって同じだし…。違いがあるとすればずいぶん田舎と、少し田舎の違いか(失礼)。でも生徒達にとっては大きな違いかな。

3月16日の合格発表は昨年と違い、不合格者や回し合格者で大きなどよめきが起こるだろう。結果についてはまたご報告します。

話し変わって、新中1に出しておいた入塾前宿題、全員きれいに提出してくれました。嬉しかったので、確認テストもついでにしてみました。いいできでした。こんな事ならもっと早く始めておけば良かった。大住学園生としての自覚も持ってくれたようで、我ながらいい思いつきだったとにんまり。来年はもっとたくさん出してやろう。

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