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母校とは永遠なるもの

写真は理事長ではなく学校長の式辞
今日26日は京都廣学館高等学校の卒業式に来賓として出席させていただいた。

二時間と長時間だったが、式典はだれることもなく粛々と進む。みんなすがすがしくいい顔をしていた。

理事長祝辞の中で「母校とは永遠なるもの」との一節があった。故人ではあるが創始者の本部廣哲前理事長がかつて卒業生にあてた手紙の中のことばであるらしい。その手紙の中で「母校とは…」と様々な言葉が繰り返され、最後に「母校とは永遠なるもの」と結ばれる。

私は仕事で母校の高校に行くことがあるが、校舎前に立ったとたんにいろんなが思いが沸き立つ。それは単にノスタルジックというものではない。確かにここに自分はいたんだ、という安堵感、そしてその時の自分と比べて今の自分は堕落していないかという反省のような気持になる。

卒業以来日々の生活の忙しさに追われ、言いかえると時間に流され、母校の存在すらも忘れてしまう。しかし今一度校舎を眺めれば、自分の人格形成にはこの場所が確実に影響を持ったのだと思うと、とても大事なところに思えてくる。つまり自分という人格が存在する限り、母校は自分の中にある。母校から逃れることはできない。すなわち永遠だ。

今日卒業する生徒たちにはまだこのことばの深い意味は分からないだろうが、いつかきっと気づいて、母校を誇りに感じてほしいと思った。


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