「ブラックボックス発言」から廣学館の先生とは何かと交流があり、入学式も見てやって下さいということでご招待いただいた。
正直なところまだ「やんちゃなやつ」がいてるのだろうと思ったが、失礼な言い方になるが普通の落ち着いた入学式だった。
ざわつくことなど一切なく、起立、着席もだらだらすることなく厳粛に式は進む。少しうつらうつらする子も少しはいるが、これは他の学校でも同じこと。
式で印象に残ったのは、学校長式辞、理事長祝辞、教育協力会(後援会)会長祝辞の中で、この学校の教育理念「人間の能力は生まれつきのものではなく、その人の努力によって開発され無限に伸ばされる」が繰り返されたことだ。
京都廣学館、レベルは上がってきているがまだまだ中学校で伸びきらなかった子、少し自分をあきらめかけている子が入って来ているのも事実だ。その子達にもう一度やり直しのチャンスを与えてあげたいという学校の姿勢はこの教育理念から来ているのだろう。諭すように何度もていねいに語りかけられていた。
そしてこの教育理念は保護者に対しても訴えかけられているはずと私は理解した。
親の思い通りには勉強してくれない、そして生活面でも親に手数を掛けた子もいるだろう。もうしばらく手がかかる子もいるかも知れない。しかしここで親があきらめてしまってはもはや成長は望めない。親から期待されないことほど子どもにとって絶望的なことはないだろう。わが子の無限の可能性をもう一度信じて、この3年間サポートして下さい、とのメッセージに聞こえた。
「親があきらめてどないすんねん。」とは私がよく使う言葉でもある。
「親があきらめてどないすんねん。」とは私がよく使う言葉でもある。
式が1時間になってくると少し緊張が弛んできたのか、隣に話しかける子いた。おい、もうあとちょっとの辛抱やん。この最後のちょっとした辛抱ができる子、できない子の差を生み出す要素の一つと感じることがある。
廣学館で最後の辛抱ができる生徒になって下さい。この学校の先生はみなさん辛抱強く面倒見てくれますよ。